歴史・文化散策: 2025年6月アーカイブ

ヨーロッパ史とは何か

ヨーロッパ史 大槻康弘 著 岩波新書

 

本書は、「ヨーロッパ史」というタイトルを見て、おそらく多くの人が想像するような内容ではない。 

「ヨーロッパ史とは何か」は、大槻康弘による著作で、ヨーロッパの歴史を探求するための視点を提供しています。著者は、ヨーロッパ史は単なる出来事の羅列ではなく、文化、思想、社会構造の変遷を通じて理解されるべきだと主張しています。

本書の「はじめに」では、ヨーロッパの地理的・歴史的特性がどのように他の地域と異なるのか、また、ヨーロッパの歴史が今日の世界に与える影響について考察しています。

さらに、歴史を学ぶ意義や方法論についても触れ、歴史理解の多様性を強調しています。

総じて、著者は読者に対してヨーロッパ史を広い視野で捉え、歴史を学ぶことの重要性を伝えようとしています。













「歴史を学ぶ」  歴史総合と歴史教育

高校での歴史教育が「歴史総合」として再編された背景には、近現代のグローバルな視点を持ち、総合的な知見に基づいて、世界と社会の実践者を育てるという目的があります。

この新しい学びの枠組みの中で、「歴史実践の六層構造」は、単なる知識の習得にとどまらず、歴史を通じた思考力や判断力、実践力を養うための有効な指針となるでしょう。

歴史総合と歴史実践の六層構造の関係

1. 歴史実証(A事実の探求

近現代の史料を批判的に分析し、歴史的事実を確認・復元する力を養う。

例:「第一次世界大戦の原因を探る」「近代日本の産業革命の実態を史料から読み取る」

 

2. 歴史解釈(B連関・構造の探求

歴史上の出来事を因果関係や構造的視点で考察し、仮説を立てる。

例:「植民地支配が現代の国際関係に与えた影響」「冷戦の終結とグローバル化の関係」

 

3. 歴史批評(C意味の探求

歴史の意義を広い時間軸と空間軸で検証し、現代とのつながりを考える。

例:「フランス革命の『自由・平等』の理念は現代にどう受け継がれたか?」

 

4. 歴史叙述(D表現の探求

学んだ歴史を論理的かつ効果的に表現する力を養う。

例:「歴史エッセイの作成」「歴史のプレゼンテーションやディスカッション」

 

5. 歴史対話(E検証の探求

異なる視点を持つ人々と協働しながら、歴史理解の多様性を学ぶ。

例:「戦争責任をどう考えるか?各国の視点を比較する」

 

6. 歴史創造(F行為の探求

歴史を学ぶことが、自らの行動や社会への関わり方に影響を与える。

例:「歴史を活かした社会課題へのアプローチ」「歴史をもとに未来の社会を考える」

 

教育実践の発展への期待

このような体系的な歴史実践が、教育現場で多様な方法で展開されることが期待されます。例えば:

アクティブ・ラーニング型授業(史料分析・ディベート・プロジェクト学習)

デジタル技術を活用した歴史教育(オンライン史料・VR体験)

地域史や国際史を取り入れた学習(地元の歴史調査・国際交流プログラム)

生徒自身が歴史を発信する活動(歴史ブログ・動画制作)

 

歴史総合を通じて、単なる暗記ではなく、歴史を学び、対話し、創造的に未来を考える力を育むことが、これからの教育の大きな目標となるでしょう。


歴史学習について

歴史総合の説明原稿.pdf


参考図書、小川幸司、成田龍一 編 歴史総合を学ぶ 岩波新書 2022-3



ヨーロッパ史  拡大と統合の力学

大月康弘 著    岩波新書 2003

p187〜p211


第5章 歴史から現代を見る


 一 国家と社会をどう捉えるか

 

- 近代ヨーロッパの古層

  - 近代ヨーロッパの形成には、古層としての中世の影響が不可欠です。中世の封建制度、教会の権威、貴族制などが、近代国家の根幹を成しています。これらの制度が崩壊し、近代的な国家が形成される過程で、社会の価値観や経済構造が変化していきます。

  - 特に、商業の発展と都市の成長が、個人の自由や権利を意識させる基盤となり、近代社会への移行を促しました。

 

- ヨーロッパ史の視座

  - ヨーロッパ史を俯瞰することで、地域ごとの独自性と共通性を理解することができます。特に、国際的な関係性や戦争、交易の影響が、各国の発展にどのように寄与したのかが考察されます。

  - 例えば、フランスとイギリスの対立や、ドイツ統一の過程が、国家形成にどのように寄与したかを分析することが重要です。

 

- ドイツ歴史学派

  - ドイツ歴史学派は、歴史を社会的文脈の中で理解しようとするアプローチを取ります。この流派の研究者たちは、特に歴史的事象が持つ文化的背景や社会的な意味に注目しました。

  - 彼らは、歴史を単なる出来事の羅列として捉えるのではなく、社会的な力学や文化的な影響を理解するための手段として考えました。

 

- さまざまな発展段階論

  - 近代化は一律に進むものではなく、各国が異なる歴史的背景や社会構造を持つため、多様な発展段階が存在します。例えば、イギリスの産業革命とフランスの市民革命は、経済的、政治的に異なる背景を持っています。

  - それぞれの国の歴史的な環境が、近代化の速度や性質に影響を与えることが示されます。

 

- スミスの社会観との違い

  - アダム・スミスは経済学の父とされ、自由市場を通じて社会全体が発展するという考え方を提唱しました。しかし、著者はこの視点が経済的な側面に偏りすぎていると指摘します。

  - スミスの理論に対して、著者は社会的、文化的な要因も考慮する必要があると主張し、経済だけでなく、社会全体の関係性が重要であることを強調しています。

 

二 (自由な個人>はどこからきたのか

 

- 「近代化」をどう見るか

  - 近代化は技術革新や経済の発展にとどまらず、個人の権利や自由の拡張を伴います。このプロセスは歴史的な背景と密接に関連しており、特に啓蒙思想や市民革命が影響を与えました。

  - 近代化は、社会的な価値観や意識の変化を促進し、個人が国家に対して権利を主張する基盤を作りました。

 

- 「都市」がキー概念

  - 都市は、近代化の象徴であり、商業や文化、政治の中心です。都市には多様な人々が集まり、自由な交流が生まれます。これにより、個人の自由が育まれやすい環境が形成されました。

  - 都市の発展は、経済的な繁栄だけでなく、社会的な活力をもたらし、個人が自らの意志で活動する場を提供します。

 

- 都市と(自由な個人)

  - 都市は、個人が自由に自分の生活を選択し、自己実現を追求できる場でした。商業活動や文化イベントが盛んで、個人の創造性や独立性が促進されました。

  - 都市の生活は、個人のアイデンティティを形成し、自由な個人としての意識を育む重要な要素となりました。

 

三 西ヨーロッパ近代社会の淵源

 

- 互酬性

  - 互酬性は、社会的な関係における相互の支援や利益の共有を指します。中世社会では、互酬的な関係が経済や社会の基盤を形成し、人々の信頼関係を築く要因となります。

  - 互酬性は、個人間のつながりを強化し、社会的な結びつきを生む重要な要素です。

 

- 互酬の彼岸化

  - 互酬性が変化し、より公式な制度や法律に基づくものへと発展していく過程が描かれます。これは、互酬的な関係が徐々に商業的な取引や国家による法律に取って代わられることを意味します。

  - 互酬の彼岸化は、個人が国家や制度に対して権利を主張する意識を育む重要な要因となります。

 

- 古代末期の()の誕生

  - 古代末期には、個人という概念が形成され、社会的な役割から独立した存在としての認識が広がっていきます。これが、近代的な個人の概念の先駆けとなります。

  - 個人の誕生は、個々の権利や自由を重視する近代社会において重要な役割を果たします。

 

- 中世都市の特殊性を語るピレンヌ

  - 歴史家アンリ・ピレンヌは、中世都市の特異性について論じ、商業活動や文化交流が中世の経済基盤を支えていたことを強調しました。

  - 彼の理論は、都市が近代社会に与えた影響を理解する上で重要であり、その中での市民の役割がどのように変化したかを示します。

 

- 地中海という視座

  - 地中海は、異なる文化や経済が交差する地域であり、歴史的に重要な役割を果たしてきました。地中海を視座にすることで、さまざまな文化の交流や影響を理解することができます。

  - 地中海の交易ネットワークは、都市の繁栄や個人の自由な活動を促進し、近代社会の基盤を形成する助けとなります。

 

- 空間革命

  - 空間革命は、交通手段やコミュニケーションの革新によって地理的な制約が緩和され、情報や物資の流通が加速したことを指します。これにより、都市の役割が変化し、経済的な活動が広範囲にわたって展開されるようになりました。

  - 空間革命は、個人の自由な活動を促進し、近代化の過程における重要な要因となります。

 

このように、第5章では、国家、自由な個人、そして中世都市の相互関係を歴史的文脈において詳細に探求しています。これにより、現代社会の形成過程や、個人の権利がどのようにして確立されてきたのかを深く理解する助けとなります。歴史的視点を持つことで、現代の課題や国家と市民の関係をより深く考察することができるのです。



2025-6-8  

本佐倉城跡 遺構巡見.pdf

本佐倉城ふるさとガイドの中山さんの案内で本佐倉城遺構、跡の巡見、説明をいただきました。

戦国時代までの千葉一族の分裂・権力争い、豊臣秀吉による小田原城後北条氏攻めによって滅亡へ、歴史ドラマの妄想を、、。

 本佐倉城は、馬加系千葉氏の宗家相続を認めない上杉氏からの攻撃を防ぐためにも、外郭部や支城なども含めて強固な防衛力を備えた縄張りになっている。 また、土塁などの築き方等から、外郭の「荒上」地区や「向根古谷」等の構築は、戦国末期に築城されたものと推測されている。

1469年~1486年ごろ、将門山に千葉輔胤が築城したという。 享徳の乱において古河公方・足利成氏を支持しており、千葉宗家の拠点だった亥鼻城ではなく、古河にアクセスしやすいこの場所を選んだと推測される(印旛沼の南)。小田原征伐の1590年まで約100年に渡り、千葉氏の居城だった。

印旛浦に面する標高36mの台地上に築かれ、城の規模は東西約700m、南北約800m、面積約35万平方メートル。10つの曲輪を持つ大規模な城で、内郭群、外郭群、城下町を含む総構えの三重の同心円で構成されている。内郭は城主のための空間、外郭では家臣の屋敷などが置かれた空間である。

1.5km四方に城下町が点在。佐倉、酒々井、鹿島、浜宿の4箇所 城下には寺院が20、神社が17確認できる(祈祷寺として文殊寺、吉祥寺、東光寺、大仏頂寺、宝珠院)

江戸時代になると、佐倉藩として佐倉城へ城下町が移転したため、この地は土地開発で壊されることがなかったようだ。幸い後世の土地開発がなく、土塁や空堀などがしっかり残っており、国指定史跡なっている。とりあえずは遺跡保護の面では安心だ。

まず、本佐倉城を築いた千葉輔胤および千葉氏の略系図を確認。

千葉氏の始まり

桓武天皇から始まり、桓武平氏の祖である高望王を先祖に持つ。平将門の叔父である平良文から平常兼へとつながるが、この平常兼が、下総国千葉郷に拠点をおいたことから千葉介を称し、千葉氏の初代当主となる。3代目の千葉常胤(平安末期~鎌倉前期)のとき源頼朝に従い、千葉氏の地位を盤石なものとする。

千葉氏 宗家滅亡

1455年に享徳の乱が勃発すると、千葉氏・馬加(まくわり)家の馬加康胤は古河公方・足利成氏を支持し、千葉氏宗家である千葉胤直・胤宣父子を討ち、宗家を滅ぼす。(宗家の居城である千葉城を攻めたのは、馬加康胤に加担した原胤房)

千葉氏当主を名乗るものの、後に馬加康胤・胤持の父子は、室町将軍・足利義政が派遣した東常縁(千葉氏一族・胤頼を始祖とする)によって討たれる。

下総千葉氏の登場

宗家の滅亡によって、馬加康胤の子孫である下総千葉氏と、宗家・胤直の弟である胤賢の子孫である武蔵千葉氏 とに分かれる。 

※本佐倉城を築いた千葉輔胤は、馬加康胤の子で下総千葉氏と分類される。(※孫という説もあり、また、岩橋氏を名乗っていた。千葉輔胤については諸説あり)。千葉輔胤は宗家のいなくなった千葉城を居城としていたが、東常縁に攻められ佐倉に逃れ、本佐倉城を築いたと伝わっている


本佐倉城は千葉氏の居城跡で、続日本100名城にも選ばれています。土塁や空堀など、良く残っている部分が多く、城好きにはたまらない場所です。京成大佐倉駅からも徒歩圏内なので、気軽に訪れることができます。

 

本佐倉城の魅力

土の城:石垣ではなく、土塁や空堀が中心の城跡です。

整備状況:よく整備されており、各所に説明板やパンフレットがあります。

案内所:案内所では、ボランティアガイドによる案内も受けられます。

 

見どころ:

空堀:巨大な空堀は圧巻です。

東山:東山の土塁からは、筑波山が見える絶景ポイントです。

馬出し:外郭の向根古谷には、馬出しが残っています。

歴史:千葉氏の戦国時代の居城跡で、縄張りは強固な防衛力を備えています。

交通:京成大佐倉駅から徒歩10分程度です。

 

訪問のポイント

案内所:

案内所では、パンフレットや冊子、出土物の展示があるので、最初に訪れるのがおすすめです。

 

整備ルート:

整備ルートに沿って散策すると、効率よく見学できます。

 

ボランティアガイド:

ボランティアガイドによる案内を受けると、より深く歴史を学ぶことができます。

 

周辺文化財:

本佐倉城跡周辺には、武家屋敷や旧堀田邸など、文化財もたくさんあります。

 

その他

スタンプ:京成大佐倉駅や本佐倉城跡案内所には、スタンプが設置されています。

御城印:佐倉城の御城印も購入できます。

 

まとめ

本佐倉城は、土の城の魅力を存分に味わえる場所です。歴史を感じながら、城内を散策するのはいかがでしょうか。

 

 本佐倉城は、馬加系千葉氏の宗家相続を認めない上杉氏からの攻撃を防ぐためにも、外郭部や支城なども含めて強固な防衛力を備えた縄張りになっている。 また、土塁などの築き方等から、外郭の「荒上」地区や「向根古谷」等の構築は、戦国末期に築城されたものと推測されている。

ヨーロッパ史の捉え方、

 統合の基層

 ヨーロッパ史の思想的変遷の整理

 

増田四郎

ヨーロッパの思想や制度を熱心に受け入れることにより,驚異的ともいえる近代化を達成してきた日本.それでいて,ヨーロッパとは何かについて,真に学問的な深さで洞察し,議論した書物は意外に少ない.本書は,ヨーロッパの社会とその精神の成り立ちを明らかにし,その本質的性格に迫ろうとする「ヨーロッパ学入門」

アンリ・ピレンヌ

「地中海世界」の没落と「ヨーロッパ世界」の誕生、その背後で決定的役割を果たしたイスラムへの着眼ーー。

歴史家が晩年の20年に全情熱を傾けたテーマ。

全ヨーロッパ的視野で、中世の都市および商工業のあり方に重点をおく社会経済史を中心に研究。邦訳に『中世都市:社会経済史的試論』(講談社学術文庫)など。

ピレンヌの集大成にして、世界的に参照され続けている古典的名著、待望の文庫化!

序文 
第1部 イスラム侵入以前の西ヨーロッパ
1
.ゲルマン民族侵入後の西方世界における地中海文明の存続
2
.ゲルマン民族侵入後の経済的社会的状況と地中海交通
3
.ゲルマン民族侵入後の精神生活
結論 

第2部 イスラムとカロリング王朝
1
.地中海におけるイスラムの伸展
2
.カロリング家のクーデターとローマ教皇の同家への接近
3
.中世の閉幕
結論


フェルナン・ブローデル 

例えば

1789年 フランス革命

1937年 日中戦争

など。

でも本当の歴史はいろんな要素が複雑に絡み合って、その結果として事件などが起こる。

そこでブローデルは、本当の歴史は事件や戦争に焦点を当てても理解できないと思い、その背景にある経済や文化などに焦点を当てた。

この視点の変化により「なぜ」歴史はそう動いたのか、という流れが理解されるようになった。

この「なぜ」というのを理解するためには心理学、経済学、社会学、地政学、政治学など色々な学問に精通しておく必要がある。

一つの見方ではなく、色々な学問を使った総合的で多角的な歴史アプローチを発明したのがブローデルである。

これにより、初めて歴史が時間的にも空間的(グローバル的)にも繋がるように認識されだした。

それ一個だけで生じている歴史的事件などは一個もなく、全ての出来事が時間的にも空間的にも関係しあっているのだ。

つまり、ヨーロッパで起きたルネサンスが資本主義になり、日本の明治維新に繋がっており、第二次世界大戦にも繋がっているのだ。

 二十世紀を代表する歴史学の大家が、代表作『物質文明・経済・資本主義』における歴史観を簡潔・明瞭に語り、歴史としての資本主義を独創的に意味付ける、アナール派歴史学の比類なき入門書。時間軸を輪切りにし、人間の歩みを生き生きと描き出す、ブローデル歴史学の神髄。

第1章 物質生活と経済生活の再考(歴史の深層;物質生活;経済生活―市と大市と取引所;市、大市、取引所の歴史―ヨーロッパ世界と非ヨーロッパ世界)

第2章 市場経済と資本主義(市場経済;資本主義という用語;資本主義の発展;資本主義の発展の社会的条件―国家、宗教、階層)

第3章 世界時間(世界=経済;世界=経済の歴史―都市国家;世界=経済の歴史―国民市場;産業革命)

 

イマニュエル・ウォーラーステイン

 イマニュエル・ウォーラーステインの世界システム論は、世界を中核・半周辺・周辺の3層構造で捉え、世界経済を一つのシステムとして分析する理論です。16世紀以降の世界資本主義体制の生成と発展を分析し、国家間関係や経済的な支配・従属関係などの構造と変動を明らかにしようとします。

詳細:

  • 3層構造:
    世界を中核、半周辺、周辺の3層に分け、それぞれの役割と相互関係を分析します。
    • 中核:資本主義の中心地で、技術や経済的優位性を持つ国々が属します。
    • 半周辺:中核と周辺の間にある国々で、中核からの資本投入を受けつつ、自らも資本を蓄積していく過程にあります。
    • 周辺:中核からの搾取を受け、資源や労働力を提供する国々が属します。
  • 世界資本主義体制:
    世界全体を資本主義体制という一つのシステムとして捉え、その歴史的過程を分析します。
  • 長期持続:
    世界システムを単なる国家の集まりではなく、長期的な歴史的プロセスとして捉える視点を取り入れます。
  • 批判:
    ウォーラーステインは、伝統的な社会科学の分断や冷戦的な二分法を批判し、世界を一つのシステムとして捉えることを主張しました。
  • 影響:
    世界システム論は、国際関係論、経済学、歴史学など、様々な分野に影響を与えてきました。

近代世界システムの3要素は

ウォーラーステインの基幹となる枠組みもまたブローデルに触発されたものでした。 「世界システム」の三層構造がそれです。 ウォーラーステインはこのシステムの包括する地域を、

1)中核=自由な賃金労働、

2)半辺境=分益小作制、

3)辺境=強制労働と、労働の管理様式によって分類するのです。

 ヨーロッパ史 拡大と統合の力学 大月康弘 著 (岩波新書 新赤版 2003)

『ヨーロッパ史 拡大と統合の力学』の「おわりに - 統合基層」では、ヨーロッパの歴史における統合の過程とその基盤について説明されています。以下にポイントをまとめます。

1. 統合の重要性ヨーロッパは歴史的に多様な文化や国家が共存してきましたが、統合は平和と安定をもたらすために不可欠です。

2. 多様性と共通性各国の文化や歴史の違いを尊重しつつ、共通の価値観や目標を見出すことが統合の基盤となります。

3. 経済的統合経済的な結びつきが強まることで、国家間の対立を減少させ、相互依存を促進します。

4. 政治的統合: EUのような地域統合の枠組みが、政治的な協力を促し、共同の課題に対処するための基盤を提供しています。

5. 未来への展望統合のプロセスは今も進行中であり、さらなる協力や連携が求められています。歴史を踏まえた上での柔軟な対応が重要です。

このように、「おわりに」では、ヨーロッパの統合がどのように進められてきたか、またその基盤となる要素について考察されています.


『ヨーロッパ史 拡大と統合の力学』の第5章「歴史から現代を見る」について、各項目を簡単にまとめます。

一、国家と社会をどう捉えるか

このセクションでは、国家と社会の関係性について考察されています。国家は単なる政治的な枠組みではなく、社会の構成要素や文化、経済との相互作用によって形成されると論じられています。国家の概念は歴史的に変遷し、その背景には社会の変化や市民意識の高まりがあります。

二、<自由な個人>はどこからきたのか

「近代化」論と都市に焦点を当て、自由な個人の概念がどのように形成されたかを探ります。近代化の過程で、都市は経済的、社会的な活動の中心となり、市民の自由や権利の意識が高まりました。この背景には、商業の発展や市民社会の形成が影響しており、個人の自由が重視されるようになりました。

三、西ヨーロッパ近代社会の淵源

中世都市と「海」をテーマに、西ヨーロッパの近代社会がどのように成立したかを考察します。中世の都市は貿易や商業の拠点として発展し、海洋貿易の拡大が経済的な基盤を形成しました。このような都市の発展が、近代社会の基礎を築く要因となり、社会構造や人々の生活様式に大きな影響を与えました。

以上のように、第5章では国家と社会、個人の自由、近代社会の形成に関する重要なテーマが取り上げられています。

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