歴史・文化散策の最近のブログ記事
今を生きる思想 ジョン・ロールズ
概要
ジョン・ロールズの思想を現代社会の課題解決の糸口として探求します。ロールズは著書『正義論』において、多様なアイデンティティを持つ人々が異なる意見を持つという前提に基づき、それでも正義が成立するための社会構造を考察しました 1。
主なテーマ
- 社会のルールをどのように決定すべきか 2
- すべての人が納得できる正義は存在するか 3
- 「多様性を認めながら対立をなくす」ことのジレンマ 4
- ロールズが語った正義の構想は綺麗事なのか 5
- 「力こそは正義」は根本的な誤解である 6
- 画期的な思考実験「無知のヴェール」 7
- 「誰もが納得する格差」はあり得るのか 8
- 自尊心がなければ自由になれない 9
- 「正義は人それぞれ」と言っていられない理由 10
- 現代的にアップデートされた社会契約論 11
- ロールズがたどり着いた「公正としての正義」 12
構成
本書は全四章で構成されています 13:
- 第一章: ロールズが主題とした「正義」という課題について確認します 13。
- 第二章: ロールズの正義の理論の構築方法について考察します 14。
- 第三章: ロールズが示した正義の理論の内容について解説します 15。
- 第四章: 正義の理論が私たちの生き方とどのように関連しているかについて考察します 16。
あとがき
執筆にあたり、ロールズの『正義論』を精読し、その論理と要点を文章化しました。また、富山大学児島博紀教授とのオンライン勉強会を通じて原稿の検討を行いました 17。
この要約が役立つことを願っています。さらに詳しい情報が必要な場合はお知らせください。 😊
もちろんです。ジョン・ロールズの思想を現代社会の具体的な事例に当てはめて考えてみましょう。
多様性と対立の調和
現代社会では、多様性を尊重しながら対立を回避することが求められています。例えば、移民や難民の受け入れ問題が挙げられます。多様な背景を持つ人々が共存するためには、ロールズの「公正としての正義」という概念が重要です。無知のヴェールの思考実験を用いることで、個々の利害関係を排除し、公正な社会制度を設計する方法が示されています 1 2。
自尊心と自由
ロールズは、自尊心がなければ真の自由は得られないと考えました。現代社会においても、例えばLGBTQ+の権利問題がこれに該当します。自尊心を尊重し、すべての人が平等に扱われる社会を目指すことが、ロールズの正義の理論に基づくアプローチです 3 4。
社会契約論のアップデート
ロールズの思想は、現代的にアップデートされた社会契約論としても評価されています。例えば、気候変動対策において、全ての国が協力して取り組む必要があります。無知のヴェールを通じて、どの国も自国の利益だけでなく、地球全体の利益を考慮することが求められます 5 6。
これらの事例を通じて、ロールズの思想が現代社会の課題解決にどのように役立つかが理解できると思います。さらに詳しい情報が必要な場合はお知らせください。 😊
1: 現代社会における課題解決の糸口として、ジョン・ロールズの思想を探求する。 2: ロールズの「無知のヴェール」という思考実験は、現代の社会契約論においても重要な役割を果たしています。 3: ロールズは、自尊心がなければ真の自由は得られないと考えました。 4: ロールズの正義の理論は、人々の生活における実質的な自由をどのように捉えるかについて深い洞察を提供しています。 5: ロールズの思想は、現代的にアップデートされた社会契約論としても評価されています。 6: ロールズの「公正としての正義」という概念は、現代社会の複雑な問題に対する解決策として有効です。
全国に先駆けた文教住宅都市憲章のまちづくりのスタート
習志野市は1970年(昭和45年)に「文教住宅都市憲章」を制定し、「公害防止条例」を施行しました。これにより住民の福祉を重視した都市づくりが開始されました。
憲章制定の背景
1954年(昭和29年)に人口32,401人で市制施行し、16年後には首都圏の膨張に伴い急激な人口流入がありました。結果として、人口密度は1平方キロメートルあたり6,263人となりました。1960年(昭和35年)に東習志野地区に四大企業を誘致し、1967年(昭和42年)には袖ケ浦団地が造成され、現在は約14,000人が入居しています。これによりベッドタウン化が進みました。
同時に、無秩序な都市拡大も問題となり、過密化が進行する懸念があります。また、京葉港の開発計画が市の周辺で進行しており、市の将来に影響を与えています。このような状況の中で、まちづくりの目標設定が求められ、「文教住宅都市憲章」が誕生しました。
憲章制定の経緯
1969年(昭和44年)8月12日に「習志野市長期計画審議会」から憲章の制定が提案されました。その後、調査・検討が始まり、1970年(昭和45年)1月に議会での検討が依頼されました。市役所内で意見収集が行われ、全市26会場で開催された「市民と市長の懇談会」で意見交換が行われました。3回の審議会や職員の意見を反映して修正を重ねた最終案が完成し、定例市議会で可決されました。
文教住宅都市憲章の意義
都市づくりの基盤は、市民が健康で快適に生活できる環境の整備にあります。都市憲章は、まちづくりの目標と方法、そして心構えを市民と共有するためのものです。前文では都市としての必要な条件が明示され、まちづくりの目標が宣言されています。本体部分では具体的な目標や、市民・市長・関係機関それぞれの役割が定められています。習志野市は教育・文化にふさわしい環境を軸に、都市の主要機能が連携し合う都市建設を目指しています。
都市憲章とは何か
都市憲章は都市組織の基本方針を示すもので、地域性や独創性、伝統性を盛り込みつつ、共通課題を体系的に定めるものです。「市民憲章」や「都市宣言」は市民の守るべき基準や愛市精神を示すもので、全国146市で採用されています。習志野市の「文教住宅都市憲章」は、自治行政の根本方針を規定する「都市の憲法」と言えるものです。
おわりに
習志野市文教住宅都市憲章は、住民自治を守り、平和なまちづくりを実現するための理念と指針を示しています。今後もこの憲章の精神に基づき、政策を定めていく決意が掲げられています。
ヨーロッパ史 大槻康弘 著 岩波新書
本書は、「ヨーロッパ史」というタイトルを見て、おそらく多くの人が想像するような内容ではない。
「ヨーロッパ史とは何か」は、大槻康弘による著作で、ヨーロッパの歴史を探求するための視点を提供しています。著者は、ヨーロッパ史は単なる出来事の羅列ではなく、文化、思想、社会構造の変遷を通じて理解されるべきだと主張しています。
本書の「はじめに」では、ヨーロッパの地理的・歴史的特性がどのように他の地域と異なるのか、また、ヨーロッパの歴史が今日の世界に与える影響について考察しています。
さらに、歴史を学ぶ意義や方法論についても触れ、歴史理解の多様性を強調しています。
総じて、著者は読者に対してヨーロッパ史を広い視野で捉え、歴史を学ぶことの重要性を伝えようとしています。
「歴史を学ぶ」 歴史総合と歴史教育
高校での歴史教育が「歴史総合」として再編された背景には、近現代のグローバルな視点を持ち、総合的な知見に基づいて、世界と社会の実践者を育てるという目的があります。
この新しい学びの枠組みの中で、「歴史実践の六層構造」は、単なる知識の習得にとどまらず、歴史を通じた思考力や判断力、実践力を養うための有効な指針となるでしょう。
歴史総合と歴史実践の六層構造の関係
1. 歴史実証(A)→ 事実の探求
• 近現代の史料を批判的に分析し、歴史的事実を確認・復元する力を養う。
• 例:「第一次世界大戦の原因を探る」「近代日本の産業革命の実態を史料から読み取る」
2. 歴史解釈(B)→ 連関・構造の探求
• 歴史上の出来事を因果関係や構造的視点で考察し、仮説を立てる。
• 例:「植民地支配が現代の国際関係に与えた影響」「冷戦の終結とグローバル化の関係」
3. 歴史批評(C)→ 意味の探求
• 歴史の意義を広い時間軸と空間軸で検証し、現代とのつながりを考える。
• 例:「フランス革命の『自由・平等』の理念は現代にどう受け継がれたか?」
4. 歴史叙述(D)→ 表現の探求
• 学んだ歴史を論理的かつ効果的に表現する力を養う。
• 例:「歴史エッセイの作成」「歴史のプレゼンテーションやディスカッション」
5. 歴史対話(E)→ 検証の探求
• 異なる視点を持つ人々と協働しながら、歴史理解の多様性を学ぶ。
• 例:「戦争責任をどう考えるか?各国の視点を比較する」
6. 歴史創造(F)→ 行為の探求
• 歴史を学ぶことが、自らの行動や社会への関わり方に影響を与える。
• 例:「歴史を活かした社会課題へのアプローチ」「歴史をもとに未来の社会を考える」
教育実践の発展への期待
このような体系的な歴史実践が、教育現場で多様な方法で展開されることが期待されます。例えば:
• アクティブ・ラーニング型授業(史料分析・ディベート・プロジェクト学習)
• デジタル技術を活用した歴史教育(オンライン史料・VR体験)
• 地域史や国際史を取り入れた学習(地元の歴史調査・国際交流プログラム)
• 生徒自身が歴史を発信する活動(歴史ブログ・動画制作)
歴史総合を通じて、単なる暗記ではなく、歴史を学び、対話し、創造的に未来を考える力を育むことが、これからの教育の大きな目標となるでしょう。
歴史学習について
歴史総合の説明原稿.pdf参考図書、小川幸司、成田龍一 編 歴史総合を学ぶ 岩波新書 2022-3
ヨーロッパ史 拡大と統合の力学
大月康弘 著 岩波新書 2003
p187〜p211
第5章 歴史から現代を見る
一 国家と社会をどう捉えるか
- 近代ヨーロッパの古層
- 近代ヨーロッパの形成には、古層としての中世の影響が不可欠です。中世の封建制度、教会の権威、貴族制などが、近代国家の根幹を成しています。これらの制度が崩壊し、近代的な国家が形成される過程で、社会の価値観や経済構造が変化していきます。
- 特に、商業の発展と都市の成長が、個人の自由や権利を意識させる基盤となり、近代社会への移行を促しました。
- ヨーロッパ史の視座
- ヨーロッパ史を俯瞰することで、地域ごとの独自性と共通性を理解することができます。特に、国際的な関係性や戦争、交易の影響が、各国の発展にどのように寄与したのかが考察されます。
- 例えば、フランスとイギリスの対立や、ドイツ統一の過程が、国家形成にどのように寄与したかを分析することが重要です。
- ドイツ歴史学派
- ドイツ歴史学派は、歴史を社会的文脈の中で理解しようとするアプローチを取ります。この流派の研究者たちは、特に歴史的事象が持つ文化的背景や社会的な意味に注目しました。
- 彼らは、歴史を単なる出来事の羅列として捉えるのではなく、社会的な力学や文化的な影響を理解するための手段として考えました。
- さまざまな発展段階論
- 近代化は一律に進むものではなく、各国が異なる歴史的背景や社会構造を持つため、多様な発展段階が存在します。例えば、イギリスの産業革命とフランスの市民革命は、経済的、政治的に異なる背景を持っています。
- それぞれの国の歴史的な環境が、近代化の速度や性質に影響を与えることが示されます。
- スミスの社会観との違い
- アダム・スミスは経済学の父とされ、自由市場を通じて社会全体が発展するという考え方を提唱しました。しかし、著者はこの視点が経済的な側面に偏りすぎていると指摘します。
- スミスの理論に対して、著者は社会的、文化的な要因も考慮する必要があると主張し、経済だけでなく、社会全体の関係性が重要であることを強調しています。
二 (自由な個人>はどこからきたのか
- 「近代化」をどう見るか
- 近代化は技術革新や経済の発展にとどまらず、個人の権利や自由の拡張を伴います。このプロセスは歴史的な背景と密接に関連しており、特に啓蒙思想や市民革命が影響を与えました。
- 近代化は、社会的な価値観や意識の変化を促進し、個人が国家に対して権利を主張する基盤を作りました。
- 「都市」がキー概念
- 都市は、近代化の象徴であり、商業や文化、政治の中心です。都市には多様な人々が集まり、自由な交流が生まれます。これにより、個人の自由が育まれやすい環境が形成されました。
- 都市の発展は、経済的な繁栄だけでなく、社会的な活力をもたらし、個人が自らの意志で活動する場を提供します。
- 都市と(自由な個人)
- 都市は、個人が自由に自分の生活を選択し、自己実現を追求できる場でした。商業活動や文化イベントが盛んで、個人の創造性や独立性が促進されました。
- 都市の生活は、個人のアイデンティティを形成し、自由な個人としての意識を育む重要な要素となりました。
三 西ヨーロッパ近代社会の淵源
- 互酬性
- 互酬性は、社会的な関係における相互の支援や利益の共有を指します。中世社会では、互酬的な関係が経済や社会の基盤を形成し、人々の信頼関係を築く要因となります。
- 互酬性は、個人間のつながりを強化し、社会的な結びつきを生む重要な要素です。
- 互酬の彼岸化
- 互酬性が変化し、より公式な制度や法律に基づくものへと発展していく過程が描かれます。これは、互酬的な関係が徐々に商業的な取引や国家による法律に取って代わられることを意味します。
- 互酬の彼岸化は、個人が国家や制度に対して権利を主張する意識を育む重要な要因となります。
- 古代末期の(個)の誕生
- 古代末期には、個人という概念が形成され、社会的な役割から独立した存在としての認識が広がっていきます。これが、近代的な個人の概念の先駆けとなります。
- 個人の誕生は、個々の権利や自由を重視する近代社会において重要な役割を果たします。
- 中世都市の特殊性を語るピレンヌ
- 歴史家アンリ・ピレンヌは、中世都市の特異性について論じ、商業活動や文化交流が中世の経済基盤を支えていたことを強調しました。
- 彼の理論は、都市が近代社会に与えた影響を理解する上で重要であり、その中での市民の役割がどのように変化したかを示します。
- 地中海という視座
- 地中海は、異なる文化や経済が交差する地域であり、歴史的に重要な役割を果たしてきました。地中海を視座にすることで、さまざまな文化の交流や影響を理解することができます。
- 地中海の交易ネットワークは、都市の繁栄や個人の自由な活動を促進し、近代社会の基盤を形成する助けとなります。
- 空間革命
- 空間革命は、交通手段やコミュニケーションの革新によって地理的な制約が緩和され、情報や物資の流通が加速したことを指します。これにより、都市の役割が変化し、経済的な活動が広範囲にわたって展開されるようになりました。
- 空間革命は、個人の自由な活動を促進し、近代化の過程における重要な要因となります。
このように、第5章では、国家、自由な個人、そして中世都市の相互関係を歴史的文脈において詳細に探求しています。これにより、現代社会の形成過程や、個人の権利がどのようにして確立されてきたのかを深く理解する助けとなります。歴史的視点を持つことで、現代の課題や国家と市民の関係をより深く考察することができるのです。
2025-6-8
本佐倉城跡 遺構巡見.pdf
本佐倉城ふるさとガイドの中山さんの案内で本佐倉城遺構、跡の巡見、説明をいただきました。
戦国時代までの千葉一族の分裂・権力争い、豊臣秀吉による小田原城後北条氏攻めによって滅亡へ、歴史ドラマの妄想を、、。
本佐倉城は、馬加系千葉氏の宗家相続を認めない上杉氏からの攻撃を防ぐためにも、外郭部や支城なども含めて強固な防衛力を備えた縄張りになっている。
また、土塁などの築き方等から、外郭の「荒上」地区や「向根古谷」等の構築は、戦国末期に築城されたものと推測されている。
1469年~1486年ごろ、将門山に千葉輔胤が築城したという。
享徳の乱において古河公方・足利成氏を支持しており、千葉宗家の拠点だった亥鼻城ではなく、古河にアクセスしやすいこの場所を選んだと推測される(印旛沼の南)。小田原征伐の1590年まで約100年に渡り、千葉氏の居城だった。
印旛浦に面する標高36mの台地上に築かれ、城の規模は東西約700m、南北約800m、面積約35万平方メートル。10つの曲輪を持つ大規模な城で、内郭群、外郭群、城下町を含む総構えの三重の同心円で構成されている。内郭は城主のための空間、外郭では家臣の屋敷などが置かれた空間である。
1.5km四方に城下町が点在。佐倉、酒々井、鹿島、浜宿の4箇所 城下には寺院が20、神社が17確認できる(祈祷寺として文殊寺、吉祥寺、東光寺、大仏頂寺、宝珠院)
江戸時代になると、佐倉藩として佐倉城へ城下町が移転したため、この地は土地開発で壊されることがなかったようだ。幸い後世の土地開発がなく、土塁や空堀などがしっかり残っており、国指定史跡なっている。とりあえずは遺跡保護の面では安心だ。
まず、本佐倉城を築いた千葉輔胤および千葉氏の略系図を確認。
千葉氏の始まり
桓武天皇から始まり、桓武平氏の祖である高望王を先祖に持つ。平将門の叔父である平良文から平常兼へとつながるが、この平常兼が、下総国千葉郷に拠点をおいたことから千葉介を称し、千葉氏の初代当主となる。3代目の千葉常胤(平安末期~鎌倉前期)のとき源頼朝に従い、千葉氏の地位を盤石なものとする。
千葉氏 宗家滅亡
1455年に享徳の乱が勃発すると、千葉氏・馬加(まくわり)家の馬加康胤は古河公方・足利成氏を支持し、千葉氏宗家である千葉胤直・胤宣父子を討ち、宗家を滅ぼす。(宗家の居城である千葉城を攻めたのは、馬加康胤に加担した原胤房)
千葉氏当主を名乗るものの、後に馬加康胤・胤持の父子は、室町将軍・足利義政が派遣した東常縁(千葉氏一族・胤頼を始祖とする)によって討たれる。
下総千葉氏の登場
宗家の滅亡によって、馬加康胤の子孫である下総千葉氏と、宗家・胤直の弟である胤賢の子孫である武蔵千葉氏 とに分かれる。
※本佐倉城を築いた千葉輔胤は、馬加康胤の子で下総千葉氏と分類される。(※孫という説もあり、また、岩橋氏を名乗っていた。千葉輔胤については諸説あり)。千葉輔胤は宗家のいなくなった千葉城を居城としていたが、東常縁に攻められ佐倉に逃れ、本佐倉城を築いたと伝わっている
本佐倉城は千葉氏の居城跡で、続日本100名城にも選ばれています。土塁や空堀など、良く残っている部分が多く、城好きにはたまらない場所です。京成大佐倉駅からも徒歩圏内なので、気軽に訪れることができます。
本佐倉城の魅力
土の城:石垣ではなく、土塁や空堀が中心の城跡です。
整備状況:よく整備されており、各所に説明板やパンフレットがあります。
案内所:案内所では、ボランティアガイドによる案内も受けられます。
見どころ:
空堀:巨大な空堀は圧巻です。
東山:東山の土塁からは、筑波山が見える絶景ポイントです。
馬出し:外郭の向根古谷には、馬出しが残っています。
歴史:千葉氏の戦国時代の居城跡で、縄張りは強固な防衛力を備えています。
交通:京成大佐倉駅から徒歩10分程度です。
訪問のポイント
案内所:
案内所では、パンフレットや冊子、出土物の展示があるので、最初に訪れるのがおすすめです。
整備ルート:
整備ルートに沿って散策すると、効率よく見学できます。
ボランティアガイド:
ボランティアガイドによる案内を受けると、より深く歴史を学ぶことができます。
周辺文化財:
本佐倉城跡周辺には、武家屋敷や旧堀田邸など、文化財もたくさんあります。
その他
スタンプ:京成大佐倉駅や本佐倉城跡案内所には、スタンプが設置されています。
御城印:佐倉城の御城印も購入できます。
まとめ
本佐倉城は、土の城の魅力を存分に味わえる場所です。歴史を感じながら、城内を散策するのはいかがでしょうか。
本佐倉城は、馬加系千葉氏の宗家相続を認めない上杉氏からの攻撃を防ぐためにも、外郭部や支城なども含めて強固な防衛力を備えた縄張りになっている。
また、土塁などの築き方等から、外郭の「荒上」地区や「向根古谷」等の構築は、戦国末期に築城されたものと推測されている。
ヨーロッパ史の捉え方、
統合の基層
ヨーロッパ史の思想的変遷の整理
増田四郎
ヨーロッパの思想や制度を熱心に受け入れることにより,驚異的ともいえる近代化を達成してきた日本.それでいて,ヨーロッパとは何かについて,真に学問的な深さで洞察し,議論した書物は意外に少ない.本書は,ヨーロッパの社会とその精神の成り立ちを明らかにし,その本質的性格に迫ろうとする「ヨーロッパ学入門」
アンリ・ピレンヌ
「地中海世界」の没落と「ヨーロッパ世界」の誕生、その背後で決定的役割を果たしたイスラムへの着眼ーー。
歴史家が晩年の20年に全情熱を傾けたテーマ。
全ヨーロッパ的視野で、中世の都市および商工業のあり方に重点をおく社会経済史を中心に研究。邦訳に『中世都市:社会経済史的試論』(講談社学術文庫)など。
ピレンヌの集大成にして、世界的に参照され続けている古典的名著、待望の文庫化!
序文
第1部 イスラム侵入以前の西ヨーロッパ
1.ゲルマン民族侵入後の西方世界における地中海文明の存続
2.ゲルマン民族侵入後の経済的社会的状況と地中海交通
3.ゲルマン民族侵入後の精神生活
結論
第2部 イスラムとカロリング王朝
1.地中海におけるイスラムの伸展
2.カロリング家のクーデターとローマ教皇の同家への接近
3.中世の閉幕
結論
フェルナン・ブローデル
例えば
1789年 フランス革命
1937年 日中戦争
など。
でも本当の歴史はいろんな要素が複雑に絡み合って、その結果として事件などが起こる。
そこでブローデルは、本当の歴史は事件や戦争に焦点を当てても理解できないと思い、その背景にある経済や文化などに焦点を当てた。
この視点の変化により「なぜ」歴史はそう動いたのか、という流れが理解されるようになった。
この「なぜ」というのを理解するためには心理学、経済学、社会学、地政学、政治学など色々な学問に精通しておく必要がある。
一つの見方ではなく、色々な学問を使った総合的で多角的な歴史アプローチを発明したのがブローデルである。
これにより、初めて歴史が時間的にも空間的(グローバル的)にも繋がるように認識されだした。
それ一個だけで生じている歴史的事件などは一個もなく、全ての出来事が時間的にも空間的にも関係しあっているのだ。
つまり、ヨーロッパで起きたルネサンスが資本主義になり、日本の明治維新に繋がっており、第二次世界大戦にも繋がっているのだ。
二十世紀を代表する歴史学の大家が、代表作『物質文明・経済・資本主義』における歴史観を簡潔・明瞭に語り、歴史としての資本主義を独創的に意味付ける、アナール派歴史学の比類なき入門書。時間軸を輪切りにし、人間の歩みを生き生きと描き出す、ブローデル歴史学の神髄。
第1章 物質生活と経済生活の再考(歴史の深層;物質生活;経済生活―市と大市と取引所;市、大市、取引所の歴史―ヨーロッパ世界と非ヨーロッパ世界)
第2章 市場経済と資本主義(市場経済;資本主義という用語;資本主義の発展;資本主義の発展の社会的条件―国家、宗教、階層)
第3章 世界時間(世界=経済;世界=経済の歴史―都市国家;世界=経済の歴史―国民市場;産業革命)
イマニュエル・ウォーラーステイン
イマニュエル・ウォーラーステインの世界システム論は、世界を中核・半周辺・周辺の3層構造で捉え、世界経済を一つのシステムとして分析する理論です。16世紀以降の世界資本主義体制の生成と発展を分析し、国家間関係や経済的な支配・従属関係などの構造と変動を明らかにしようとします。
詳細:
- 3層構造:
世界を中核、半周辺、周辺の3層に分け、それぞれの役割と相互関係を分析します。 - 中核:資本主義の中心地で、技術や経済的優位性を持つ国々が属します。
- 半周辺:中核と周辺の間にある国々で、中核からの資本投入を受けつつ、自らも資本を蓄積していく過程にあります。
- 周辺:中核からの搾取を受け、資源や労働力を提供する国々が属します。
- 世界資本主義体制:
世界全体を資本主義体制という一つのシステムとして捉え、その歴史的過程を分析します。 - 長期持続:
世界システムを単なる国家の集まりではなく、長期的な歴史的プロセスとして捉える視点を取り入れます。 - 批判:
ウォーラーステインは、伝統的な社会科学の分断や冷戦的な二分法を批判し、世界を一つのシステムとして捉えることを主張しました。 - 影響:
世界システム論は、国際関係論、経済学、歴史学など、様々な分野に影響を与えてきました。
近代世界システムの3要素は?
ウォーラーステインの基幹となる枠組みもまたブローデルに触発されたものでした。 「世界システム」の三層構造がそれです。 ウォーラーステインはこのシステムの包括する地域を、
1)中核=自由な賃金労働、
2)半辺境=分益小作制、
3)辺境=強制労働と、労働の管理様式によって分類するのです。
ヨーロッパ史 拡大と統合の力学 大月康弘 著 (岩波新書 新赤版 2003)
『ヨーロッパ史 拡大と統合の力学』の「おわりに - 統合基層」では、ヨーロッパの歴史における統合の過程とその基盤について説明されています。以下にポイントをまとめます。
1. 統合の重要性: ヨーロッパは歴史的に多様な文化や国家が共存してきましたが、統合は平和と安定をもたらすために不可欠です。
2. 多様性と共通性: 各国の文化や歴史の違いを尊重しつつ、共通の価値観や目標を見出すことが統合の基盤となります。
3. 経済的統合: 経済的な結びつきが強まることで、国家間の対立を減少させ、相互依存を促進します。
4. 政治的統合: EUのような地域統合の枠組みが、政治的な協力を促し、共同の課題に対処するための基盤を提供しています。
5. 未来への展望: 統合のプロセスは今も進行中であり、さらなる協力や連携が求められています。歴史を踏まえた上での柔軟な対応が重要です。
このように、「おわりに」では、ヨーロッパの統合がどのように進められてきたか、またその基盤となる要素について考察されています.
『ヨーロッパ史 拡大と統合の力学』の第5章「歴史から現代を見る」について、各項目を簡単にまとめます。
一、国家と社会をどう捉えるか
このセクションでは、国家と社会の関係性について考察されています。国家は単なる政治的な枠組みではなく、社会の構成要素や文化、経済との相互作用によって形成されると論じられています。国家の概念は歴史的に変遷し、その背景には社会の変化や市民意識の高まりがあります。
二、<自由な個人>はどこからきたのか
「近代化」論と都市に焦点を当て、自由な個人の概念がどのように形成されたかを探ります。近代化の過程で、都市は経済的、社会的な活動の中心となり、市民の自由や権利の意識が高まりました。この背景には、商業の発展や市民社会の形成が影響しており、個人の自由が重視されるようになりました。
三、西ヨーロッパ近代社会の淵源
中世都市と「海」をテーマに、西ヨーロッパの近代社会がどのように成立したかを考察します。中世の都市は貿易や商業の拠点として発展し、海洋貿易の拡大が経済的な基盤を形成しました。このような都市の発展が、近代社会の基礎を築く要因となり、社会構造や人々の生活様式に大きな影響を与えました。
以上のように、第5章では国家と社会、個人の自由、近代社会の形成に関する重要なテーマが取り上げられています。
砂糖は歴史を動かす重要な商品であり、その生産と貿易は世界各地で大きな影響を与えました。
砂糖の始まり: 16世紀以降、砂糖は世界の商品となり、巨大な利益を生み出す競争が始まりました。1
ヨーロッパへの砂糖の導入: ポルトガル人がアフリカから黒人奴隷を連れてきてブラジルで砂糖プランテーションを始め、16世紀にはブラジルが世界の砂糖生産の中心となりました。2
カリブ海の砂糖生産: 17世紀にはカリブ海が砂糖生産の中心となり、アフリカ人奴隷を大量に導入した「砂糖革命」が起こりました。3
紅茶と砂糖の普及: 砂糖は紅茶やコーヒーとともに広まり、特にイギリスでは貴族から庶民にまで普及しました。4
コーヒーハウスの文化: 17世紀後半から18世紀にかけて、イギリスの都市でコーヒーハウスが情報の中心となり、近代文化が育まれました。5
茶とコーヒーの普及の違い: 紅茶はイギリスで広まり、コーヒーはフランスで普及しました。アメリカでは独立後にコーヒーが主流となりました。6
砂糖と奴隷貿易: 18世紀にはイギリスが砂糖と奴隷貿易を通じて世界貿易の支配権を握り、豊かな社会を築きました。7
ビートの挑戦: 砂糖きび以外の砂糖生産方法としてビートが開発され、現代の糖生産の60%を占めていますが、砂糖の歴史的使命は終わりつつあります。8
ドキュメントの概要
このドキュメントは、複数の出版社による世界史関連シリーズの詳細情報と、歴史研究の方法論について説明しています。
中央公論社 - 「世界史」シリーズ: 1950年代に発行され、1990年代と2000年代に改訂版が出されたこのシリーズは、西洋と日本の関係を重視し、読みやすく信頼性が高い内容が特徴です。12
筑摩書房 - 「筑摩世界文学大系」内の世界史関連書籍: 1960年代以降に発行され、文学作品を通じて異なる文化や歴史的背景を理解することを目的としています。34
平凡社 - 「世界歴史大系」: 1970年代に発行され、古代から近代までの世界の歴史を系統的にまとめ、視覚的に理解しやすい内容が特徴です。56
河出書房新社 - 「世界歴史」シリーズ: 1970年代に発行され、特定の地域や時代に焦点を当て、学術的視点と一般読者向けのアプローチを兼ね備えています。78
岩波書店 - 「世界の歴史」シリーズ: 1980年代に発行され、政治、経済、文化の相互作用に重点を置いた信頼性の高い内容が特徴です。910
講談社 - 「興亡の世界史」シリーズ: 2000年代から現在も続くこのシリーズは、各地域や文明の興亡を通じて世界の歴史を捉え、豊富な図版や地図が使われています。1112
岩波書店 - 「新・世界史」シリーズ: 2020年代に発行され、グローバルな視点から人類の歴史を再構築し、環境史や科学技術史など新たな視点を盛り込んでいます。1314
文献学(テキスト批評): 歴史的文献の信頼性を評価し、内容の正確性を確認するための方法論です。1516
社会史的アプローチ: 社会の構造や個人・集団の生活を中心に歴史を理解するための方法論です。1718
経済史: 経済の要因が歴史的出来事に与える影響を探るための方法論です。1920

戦後の「世界史」シリーズ解題
「世界史」シリーズ.pdf歴史研究の目的、具体的な側面や実例を交えて説明します。
やや楽観的にすぎる歴史観だが読書の満足感は味わえるかも
著者について、
グレーバー教授は、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの人類学教授であり、負債論』や『ブルシット・ジョブ』などの著書のある研究者で2020年に亡くなっています。ウェングロウ教授は、ロンドン大学の考古学研究所に所属していて、比較考古学がご専門です。
本書の英語の原題は The Dawn of Everything であり、2021年の出版です。邦訳タイトルは、ほぼほぼ直訳です。
本書は文字記録の始まる前の先史時代、すなわち有史以前の人類史を捉え直そうとする試みです。
ですので、歴史学者ハラリによる『サピエンス全史』、進化心理学者ピンカーの『暴力の人類史』、また、進化生物学者ダイアモンド教授の一連の著作などと同じ試みといえます。もっと大昔でいえば、エンゲルス『家族・私有財産・国家の起源』とも相通ずるものがありそうです。ゴーギャンの名画 1D'où venons-nous? Que sommes-nous? Où allons-nous? = 我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか とよく似た問いに対する回答を試みています。
上下2段組で解説や参考文献まで含めて700ページ近いボリュームであり、すべてを的確に理解できたかどうかは自信ありませんが、それなりのインパクトある読書になることは確かです。
ただ、有史以前からの人類史とはいえ、歴史的なモデルは置かれています。近代的な経済社会においては、国家が成立して議会・政府・裁判所が三権分立し、国内治安を維持するための警察、対外的な安全保障のための軍隊などを備え、基本的人権などの前に所有権などの制度的な諸権利が確立するわけです。その前の状態をホッブズとルソーの2つの自然状態に関する人類観とでも呼ぶべきモデルを示します。すなわち、ホッブズは、人々は孤独で貧しく辛く残忍で短い、という、いわゆる「万人の万人に対する闘争」と考える自然状態のモデルを提示し、人類とは凶暴で争い好きな存在として描き出します。
逆に、ルソーは、農業と冶金の勃興を機に土地が分割されて私的に所有され、しかも、貴金属の蓄積と支配隷属関係が始まってしまうんですが、その前の段階では、豊かな実りを採集できる森で小さな集団にしか属さなかった野生人は、欲望を競わず平等かつ平穏に暮らしていた、という自然状態のモデルを示し、人類とは自由で平等な無邪気な存在であるとします。
その上で、ホッブズ的にいえば、社会契約によって人類の本能を権力サイドから抑圧することとなり、ルソー的にいえば、本来の自由を犠牲にしていろんな制約に服することになります。
そして、本書の重要な観点は格差とか不平等という経済的な見方です。すなわち、先史時代には原始共産制のような平等な経済社会であったにもかかわらず、文明の発達が不平等に道を開いた、というのが『サピエンス全史』なんかで見られる歴史観だと思うのですが、そこに本書は大きな疑問を呈しています。
現在では例外的な紛争地帯などを別にすれば大きな移動は見られませんが、今の移民どころではない大規模な人口移動が先史時代から有史時代でも大昔にはいっぱいあったわけで、地域選択も自由だったようです。したがって、足による移動で豊かさを追求していた可能性が示唆されています。
こういった基本的人権のもっとも基礎をなす自由と平等の観点から壮大な人類史の構築を試みた歴史書です。書店や図書館で目にするだけでボリュームに圧倒されて手に取ろうという気が起こらないかもしれませんし、手に取って読んでみてもなかなか理解がはかどらないかもしれませんが、時間をかけてでも挑戦する値打ちのある歴史書といえます。
多分、解説については、ChatGPTに御厄介になるでしょう。
万物の黎明.pdfいま、ふたたび自分の存在を問い直すときがきた

14歳の少女ソフィーのもとに見知らぬ人物から届いた手紙。そこにはたった1行「あなたはだれ?」とだけ書かれていた......。本書が発行された1995年、日本では阪神・淡路大震災と地下鉄サリン事件が相次いで発生し、人々は命の価値と自らの存在意義を模索した。
そしていま、未曾有の災害が日本を襲った。
「哲学」は私たちの生きる道を照らすためにある。
世界50か国1500万人超が読んだ名作が、著者の新たなメッセージを加えて再登場!
ある日、少女ソフィーのもとに届いた差出人不明の1通の手紙。そこにはたったひとこと「あなたはだれ?」とだけ書かれていた。それは「哲学」への招待状だった。世界的ベストセラーの哲学ファンタジーがフランスの人気作家によるコミック、バンドデシネになってオールカラーで登場!
目次
上巻
2 神話と自然哲学者たち
3 原子と運命
4 アテナイとソクラテス
5 プラトン
6 アリストテレス
7 ヘレニズム
8 ふたつの文化
9 聖アウグスティヌス、アヴェロエス、聖トマス・アクィナス
10 ルネサンス
11 バロック
下巻
12 デカルト13 スピノザ
14 経験主義者たち
15 社会契約
16 啓蒙主義とカント
17 ロマン主義
18 マルクス
19 ダーウィン
20 フロイト
21 20世紀
22 ヒルデ
エピローグ
目次
- ▪︎生成AI技術の出現がもたらす社会的、職業的影響について
- ①生成AI革命という歴史の転換点
- ②AIによって消える仕事、残る仕事
- ③AIが問い直す創造性の価値
- まとめ『人間ならではの感性と創造性の価値が重要視される』
6月に松戸市民、50万人達成!。その松戸市は案外と、河川の街でもあります。北海道似の5キロ四方の地形、大きくは、西側に江戸川がとうとうと流れていますが、中央西側部には坂川と新坂川が流れ、東部には富士川・春木川、南部には国分川があります。房総台地の北端にある松戸の地形は台地3分の2、3分の1が低地です。
このほど、渡辺尚志(わたなべ・たかし)/松戸市立博物館館長は、『川と向き合う江戸時代―江戸川と坂川の治水をめぐって』を刊行されました。
これまでの『小金町と周辺の村々』①・『大谷口村大熊家文書から読み解く』②に続く松戸の江戸時代シリーズになります。
以下、プロローグなどからご案内ー
第1章:江戸時代の村・百姓と水とのかかわりを、お話します。
第2章:江戸川の200キロの治水、水害防止の歴史を取り上げます。
第3章:下谷地域の水害防止として、坂川が拡張されていく20か村の前半の歴史。
第4章:坂川改修の後半、1800年代の掘り継ぎ騒動と合意。 江戸幕府に御普請を嘆願した最初から、56年(1781年~1835年)かかって完成へ。流山の鰭ヶ崎(ひれがさき)から大谷口・古ヶ崎・松戸宿を通り、小山から市川村へと坂川の新水路はできあがる。鰭ヶ崎村名主の渡辺庄左エ門(しょうざえもん)は、多額の負担をしています。
第5章:新水路完成後の課題。自己負担とは別に、水路への用地や潰れ地への補償では出願のうち12村は、幕府から3600両を拝借。その返済は?、工事関連23か村からは人足負担への軽減嘆願。三代にわたって1000両以上も立て替えた庄左エ門への批判。こうしてできた坂川でしたが、水害を防ぐことは、明治42年(1909年)になってからの樋野口(ひのぐち)排水機場が設けられてから、という。
新流路坂川の建設をめぐる近辺の村々の、利害や負担をめぐる顛末、その判断基準など、なかなかの読み物です。具体的なプラン提言や地域指導者の役割、地域社会の利害への対応など、学ぶ報告となります。
坂川の改修をめぐってー川と向き合う江戸時代}渡辺尚志館長講演会 11/11
松戸市立博物館・館長講演会は、渡辺尚志館長により{川と向き合う江戸時代―坂川の改修をめぐって}と題して、11/11(土)、講堂で開催されました。約70人方が、松戸市内にながれる坂川(さかがわの)歴史を学びました。ていねいなレジメには、要点や古文書の現代語訳、カラー地図が記載され、歯切れ良い解説を聞き入ることになりました。以下は、お話の一部をご案内します。
〇松戸市の地形は、下総台地の上部と下部とに分かれ、下部(下谷・したや)には江戸川や坂川が流れている。戦国時代までは、下谷一帯には人は住まず、耕地もない湿地帯であったが、17世紀(江戸時代前期)になると新たな村(新田・しんでん)が成立した。九郎左衛門(くろうざえもん)新田・七右衛門(しちえもん)新田の例。集落や耕地ができることで、水害が生まれることになる。 〇水害に悩まされ、"三年に一度、米が穫れればよい"と言われるなか、下谷の百姓たちは、17世紀末に開墾が一段落すると、坂川の改修に取り組むことになる。1760年(宝暦10)には、川底の土砂のしゅんせつ、流路の変更、土手の建設などを幕府に願い出る。これは、坂川沿岸の幕府領10か村が幕府に主な負担と百姓自らの負担による案だった。しかし、台地上や台地縁の台方(だいかた)の村々は反対であった。堤防を築いても水害が防げるのか?、人足を出す負担の是非の問題があった。
〇1781年(享和元年)、鰭ケ崎村名主の渡辺庄左衛門らによって、12カ村が初めて坂川の流路を南方(松戸宿・小山・矢切方面などの下郷へ)へ延長することを出願。以降、約60年間、坂川の流路延長は説得と実現へ尽力され、堀り継ぎされていくことになる。1834年(天保5年)、下郷村々+坂川組合村々+鰭ケ崎村との合意へ。(ー講演の主たる部分は、おりおりの願書、反対の意見、事件、その成果や課題が述べられていきました。)1836年(天保7)、ルートの延長が実現し、坂川の流路はほぼ現在の柳原水閘までの姿になる。こうして、明治以降の坂川周辺の農業発展の基礎が築かれたが、水害とのたたかいは続く。
〇江戸時代後半、坂川の改修が実現できた要因をあげる。村々を結集してネバリ強く幕府に働きかけたこと、具体的な改修プランを提案していたこと、地域有力者の政治的な交渉力・私財提供・工事請負があげられる。